火鉢にやっぱり網は使う

ぼくは熊至朗。

マッカーサーといふアメリカ人よりあとにこの国に生まれている、GHQが何かよく分かっていない。。けれど、、何か横文字がしっくりこない。。

エコノミックとか、何かしっくりこない。。って感じたのは正しかったよ。

笑っていられない現実。けどおかしい。考えれば考えるほど

これを聞いて解らないようなら

何を聞いても解らないだろうし、

あなたがもし今からいうこのことが解らないのならぼくも教育をあきらめる


けれど、

してくれる質問にはいくらでもこたえるヨ。


新聞や雑誌で目にしたアベノミクスという語、これ、どこで使っても通じないよ。

「economic」は経済、とか経済上の、とかの意味を日本訳としてる辞書を見て、、わかった風になって、それならー

エコノミクスなら、、この語は、経済上の効果を期待した何か!うんうん。とか思いそうになって、語の意味を意識にとめずに素通りしようとして会話を進めてしまいそうになる、いやいや待って。


エコノミクスなんて英語ない。economicならある。

アベノミクスって何?この語の意味はない。この国の政府のなら日本語を使って欲しいが、それが難しいのならせめて、

意味のある語を使ってほしい。

アベノマスクは、もう洒落でしかない。笑えない。


economyは、実は「家の」と訳すのが正しい。エコノミーの日本語訳は生態系の、とか生態系の枠、という意味に現在の辞書ではなっているが、

日本語の、家の、の本来の意味が、economyという語の意味を構成している。

つまり「エコノミー」=「家の」である。


この説が腑に落ちない人がいても、仮定として読み進めてほしい。

学術的にこの等式が成り立つかどうかは、今ぼくが言いたいことやほんに傳たいこと、でない。

economyは家のと訳す(ことにする。)

続けると、

economyが、「家の」ならば、ecoを家と訳してよい。

エコ、エコって言うてるけど、ecoを考えるという事は、家を考えるという事なの。


「家」や「家の」なら、それは皆がいつも意識に置いて考えてる。

この国に生まれ育った人は、この語なら、最低限、これが何を意味する語なのか理解する。


ことばというのは文化であり、ぼくらの表層の意識と普段は隠れて見えない意識との間をとりもつことができるモノなの。

それは1000年以上前から人という媒体を介して、この地とそこに住む命に息づく「何か」だからね、

それがことばというモノ


話は戻り、

「家」とか「家の」という語の意味をぼくらは理解する。よね、

これを理解するぼくらは、

「家を富ますこと。」

このコトの意味も理解する。


この文の意味なら、単語の意味が解らなかったとしても、少なくとも、子どもも大人もその意味がわかる。国を治める人は、こういう言葉を使って、経済のことを今後どうするか、国の民に伝えるとよい、よね。


家を富ます。これ、どういうこと?、、


熊至朗は日本語使っているでしょ。

今、ぼくは経済の話をしているヨ。


家を富ます。 あー アベノミクスか!ちゃうちゃう、ちゃうで(←全力で否定するよ)

アベノミクスが何だったのかを、解っている人がいたら、教えてほしい。


それからね、

家を富ますことを、家の中にあるお金の残高に置き換えて考えて生きてると、いつも意識がそのことに奪われていると大変なことになるヨ。

大変なことって言うのは、きっと、命を全うできないよ、という大変さを指してぼくは言うている。


これはおっさんがよく言うのなんだけど、「テレビで〇〇が…とか、年金の過去の個人データが紛失したのがどうだとか、日本銀行券一人10毎刷ってばら撒いて、未来へのツケがどうだこうだ、云々」「政府が、もしくはキャスターが、はたまた偉い人がこう言ってたけど、あれこれ、オリンピックけしからんっ…」て。おっさん何かを言うてるなあ。。って、これを聞く熊至朗の胸の内(今、もう一回それをここで言うの?)。聞いてほしいだけなら熊ちゃん聞くけど。この時のおっさんは楽しそうにはしていないからね。大抵ね。熊ちゃんは楽しいことを聞くのが好きなのに。

これ単純に、過去からずっと今この瞬間も継続して止まない経済という全体の一部分を、その一部だけ切り取った小さな枠でみて、その枠の中のものが増加したり減少したりすることについて、おっさんがおっさんの意見を述べているに過ぎないから、ね。しかもその話の中身はおっさんが自分が聞いて調べて考えたり、事実を見てきたでもないテレビの中の話だったりする。これが、「テレビが言うてたからな、あんたもこうしとかなあかんで」ってなったりしてると、もうお手上げ状態。。

これをいうのは大抵オバチャン。。

何が困るかって、

みのりがない。

そりゃ、そうやって話をするおっさんの感情の起伏がついて、おっさんの色眼鏡越しの映像が中継されてきて、側で聞いててぼくは(何で怒ってんだろーっ)て少し思うけど、どちらかと言うとぼくは胸の奥で、もうその話いいからね。。ってなってるヨ。

けどおっさんは、おっさん自身もこの話にはみのりがないと知っているから、すぐに違う話題へと流れて行くのだ。


「これでいいのだ〜」

となるのが天才バカボンの話だが、赤塚不二夫さんの世界に敬意を持ち、

みのりのある話をしょう。

小窓のような枠の中の世界の経済の現象を見て、けしからんって、お前はどう思うのや、という話をしているおっさん。

たしかに、家庭<中小企業<市政<府政<国政(大企業含む)で枠の中にいる人数が増えるから、大きい(おっさんには大きく見えてる)話におっさんが興奮するのは解る。それに、いま世間というものを見渡すとみんなお金の価値を信じていきてる人が多いのも事実。但し現在【2021年2月15日現在】


だけれども、

枠なんてはじめからないとしたら。というか、経済という枠は一つだとしたら。


ここからは、熊至朗の想像の話

確かな情報であるとして書いている。


日本に官というものがなくなった今、鉄道も、郵便局も、日本銀行も日本政府も一般企業になりすましている今、(知ってる?2020年10月に国民年金が業務の大部分を民間に委託したのを。国民年金を信じてないぼくはいいんだけれど。人として生を受けて産まれてきて、お金という数字を追いかけ続ける人形みたいな、人としてそんな一生を終えるのは精神も肉体も大変だと思うし、何よりそうやって生きることは楽しくないと、スティーブ・ジョブズという、彼の偉大なる人生の終焉に、一つの結果が出ているから。


ぼくはいっときたりともお金の残高に目をやらない、意識が 他のこと に奪われないでいる暮らしこそ豊かだと思う。

ほんにこの生を謳歌するために生きる。

このほしのこの国に生まれたとと

今生きているこの命がある事に

心のそこから感謝する。


家を富ます。

この「家の」の事を解する人、

それは、たとえば冬の寒い日に、

火鉢を用意し、ここに火を入れるには、本格的に寒くなる少し前からたき木をし、おきを用意しておくこと。もし火の上に網があったら温められて餅も柔らかくなる。(冷えて固くなった餅では餅よさの半分もない)

人は生きていたら、寒い日には暖をとるし、いつもみんな必要なものを得ようとなんとか生きる、よね。


だから、ここに氣付く人はみんな網を用意できる人になろう。

網は、針金で作ればいい。道具や針金がなければ誰かがきっと貸してくれる。

火がついて熱くなったおきも、灰の上に一つだけ置いておいても

なぜだろうね、すぐに消えてしまう。


「小さなアミ」を心につくろう。


家はどこですか、ていう質問にたいして『地球』です。って皆が、なんなくこたえる日が來たなら、そのまえに、

この星の『家の』いろんな事はまわっている。

そのあとに、初めて持続可能な社会がくる。


まずはぼくお米作る人になるヨ

そろそろ 

このほしの経済がまわる

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