アマゾンの原住民の村に行った時に聞かれた。「君は普段はどこの水を飲むの?」(どこで水を得るの?という質問に) 

答えられずにいると 「君はどこの水を飲んで 生きている(生かされている)か分からないのか?」 と言われた。


こんな話をしてくれた友がある。

この言葉との出会いには、感謝してもし尽くせないような喜びがぼくの中にある。


『水』は『情報』。


 

山や川や湖で水を得る人も

蛇口をひねって水を得る人も

そこに最大の敬意と感謝をもってえると

その水はその命に応えてくれると。そういう水の氣を

ぼくは感じる。



昔の日本人は、蛇口をひねって水が出ることに限りない感謝があった。と思う。

それは、水を得ることの大変さと、その裏表である悅びを、その身を以て獲得していたから。


昔といっても、それはほんの四十年前のこと。


ぼくのいま居る守山という集落では、山から水路をひいて、その水を傾斜のある集落の上の家から順番に使っていた時代があり、

琵琶湖の浜に近くなるにつれて汚れていく水のこともよく知っていた。

浜に近い家の人は、湖の際に桟橋という道をつくり、湧き水が出る周辺の琵琶湖の水を汲んで飲んでいた。という。

琵琶湖の水は、今よりも透きとおった水で‥。

しじみやごりを撮るのは子供らの仕事だった。

見た目の透明度だけではなく地中の微生物も今のように化学で汚染される時代の前の話。


それでも、琵琶湖の浄化能力は想像を超えて高く、

今現在も、

京都大阪滋賀では琵琶湖の水を飲む浄水システムが整う。


ただし、蛇口をひねる場合は、カルキ(塩素)添加という条件付きで。カルキはビタミンCを分解してしまう。


ぼくが山の中腹で、湧水を得られているのは

奇跡にも近いような感動と、

そこへ行くたび「妙なる経験」として水を受けとる。


あのあふれ出る水のように、この體からわきでてくる何かがある。

RAWケーキの販売は現在しておりません。
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