教えるということ

ぼくにはこの国には新たな寺子屋が必要だと思う。


この星には「ほんによりよく生きる、その方法を教える」寺子屋が必要だと思う。


テレビやインターネットから流れる情報を鵜呑みにしていると、冗談では済まされないことになる。



「識る」



これからこの事を皆がする。


今はそういう時代


ほんに聡明な判断が皆に求められる


日本で行われてきた教育は、

その礎とも言える部分があるとき入れ替えられた時代を経て現行の公教育がある。


昭和20年からあとの少しの時間に。


知っているから物事が判る、というのではなくて、

明らかに結果が判っているから、ほんに識る。これが大切で、

「識る」とは、ほんに聡明な判断をするという事。


その行為とは?


この時代に生きる人は、もう、その方法は解っているのだから、

それなら「地球を守る」ためにする事は限りなく明白で、あとは共に行動するだけ、


「識っている」人 あなた(アナタ)とわたしがこの星に生きている」


そういう生きかたをする教育を。


「識っている人」にぼくは何も教えることはできない。だから、共に行動して「聡明な判断」とは何をなす事かを、共に話しする。


自分よりも大きなものは守れないのね。 人

間が集まれば、その力は、この星よりも大きいと識ること。この命はこの星の命と同じ。

この星の偉大さは、人一人の大きさと等しいことを

識る。


「識っている」


それだけの力をぼくらは授けらている。 そういう教育をする、 この日をつくる



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